2021.10.05
ロシアから来た運転手さん
日本の大学と比べると、アメリカの大学はどこもお金持ちでした。
アメリカでは人々の大学への寄付が税金の一部として認められているそうで、多くの人が大学に寄付するからだそうです。
私がサンフランシスコの次に半年ほどいたダートマス大学はアイビーリーグの8大学の一つで、経営学で有名な大学でした。
ニューハンプシャー州の森の中で、ハノーバーという小さな町にありましたが、大学関係者のみならず町の人が自由に使える無料のバス路線を多数運行していました。
当時、私は車を持っていなかったので、宿舎から歩いて大学の研究室に通っていました。
毎朝定刻に出かけて,大学のバスと同じところで行き交うのが朝の行事になっていました。
通い出して数週間経った頃、話もしたことのないそのバスの運転手さんが私に手で挨拶してくれるようになりました。ついこちらも嬉しくなって手を振るようになりました。
彼は、見た目50歳から60歳代の白人男性でした。
町の郊外に大きなメディカルセンターがあり、そちらの研究室に行く時には彼が運転するバスを利用させてもらうようになりましたが、運転中に話しかけるわけにもいかず、ただただ乗せてもらっているだけでした。
病院の中の雰囲気は日本とほとんど変わりませんでしたが、ロビーでのピアノの演奏やタペストリーや絵画、写真の展示会などのボランティア活動はアメリカの方が盛んだったように思います。
ある日、たまたま、そのロビーで患者として病院に来ている運転手さんに会うことができました。
その場で少し立ち話をしたところでは、彼はどこかにガンを患っていて、この病院に通院しているとのことでした。
彼は移民としてロシアから来たそうです。意外ですが、アメリカにはロシアからの移民も多くいるのです。
彼は乗客みんなに優しくしているらしく、クリスマスの時には若いアメリカ人の娘さんから「いつも乗せてくれてありがとう。」と言われて,クッキーかチョコレートが入っているような箱のプレゼントをもらっていました。
びっくりしながらも、とても嬉しそうな顔をしていました。
私もいよいよ日本に帰る前の日、最後のバスの利用時には、下車するときに、「僕は明日日本に帰るよ。今までありがとう。」と言って握手をして別れました。
彼も「元気で」と言ってくれました。
もちろんそれっきりで、とうとう名前すらわかりませんでしたが、20年くらい経過しても忘れられない人の一人です。
彼からはアメリカでの友達の作り方を教えてもらったような気がしました。
多田 剛
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