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2021.11.26

英語の思い出①

私は今も昔も英語が得意ではありません。受験生時代は、まるで敵国の暗号を解読するような感じでした。

 

医学部を卒業して入局したのは母校の脳神経外科でした。

 

当時は脳動脈瘤のクリップを開発されて世界的に有名な杉田虔一郎先生が教授でMayo clinicで研鑽を積まれて帰国されたばかりの小林茂昭先生が助教授という時代で、外国人の先生が多く来訪されていたせいもありますが、外国からの先生がいるときは医局のカンファランスはプレゼンもディスカッションも英語でというのが常でした。私は壁の花でした。

 

 

毎週小林英語教室がありました。

1年目の我々も半強制的に出席していました。

「はい、次、多田君」各人が英語の論文の1段落を読むのですが、「ふー。君は、この意味はわかっているのかね?」とよく言われました。毎週この時間は忍の一字でした。

 

 

それでも、その小林先生から

 

「多田君、日本語で論文を書くと日本人にしか読んでもらえないけれど、英語で論文を書くと世界中の人に読んでもらえる。君もぜひ論文は英語で書きなさい。」と言われたことがありました。

 

当時の自分には、この言葉がとても鮮烈で、第1作目の症例報告から、すべての論文を英語にしました。

後に信大の医学教育の教授に選んでもらえたのも、このおかげだし、私の研究論文についての問い合わせは全て英語だった。小林先生の言葉は当たっていたのだと思います。

 

 

英語を勉強するのは楽しいなと思ったのは、これまた遅過ぎますが、50歳を過ぎてからでした。

たまたま聞いていたインターネットの無料英語教室で、それはnativeの先生がゆっくりとアメリカの生活について英語で紹介してくれるコンテンツがきっかけでした。

 

たとえば、日本では交通事故が起こると脇見渋滞という言葉がありますが、アメリカではこれをどういうかご存知でしょうか。

rubberneckという言葉を使うんです。

反対車線の事故を見物するために運転手の首がゴムのように曲がっているという意味で、本当に言い得て妙だなとアメリカ人を可愛らしく感じて、それ以来、このコンテンツを聞くのが楽しみになりました。

 

最初は何を言っているのかわからなくても、何度か聞いているとわかるようになりました。後の祭りですが、こんなに楽しければ、もっと楽に勉強できたのにと思いました。